佐渡金山の影響を受け変化する農業

佐渡金山の影響

佐渡での稲作の始まりは、約2000年前からとされています。佐渡中央部の湿地を中心に行われていましたが、金銀山等の採鉱が活発化し、人口が増加するにつれて、山間の湿地へと水田が拡大していきました。

17世紀に入ると相川金山が発見され採鉱が行われ、以来幕府(国)はこの金山を直轄地として経営し、300年にわたって国の財政を支えました。当然佐渡に住む人々の生活にも大きな影響を及ぼしました。

史跡 佐渡金山「道遊の割戸」

史跡 佐渡金山「道遊の割戸」

佐渡金山の水上輪

佐渡金山の水上輪

人口急増により、山間深くまで新田を開発

金山からの富でゴールドラッシュとなった佐渡では急増した人口のため、新田開発が促され、山間深くまで棚田が開発されました。棚田の開発に伴って、水源の乏しい佐渡では1,000ヶ所を超えるため池が整備され、灌漑がなされました。なお、開墾のための土木技術や水利には鉱山用の技術が使われ、水のくみ揚げには水上輪といわれるヨーロッパからのポンプの技術(アルキメデスポンプ)も使われていました。

山を切り開いて開発された棚田

山を切り開いて開発された棚田

山間部に広がる棚田

山間部に広がる棚田

また、薪炭やわら製品など換金商品の需要増による副収入で農家が獲得した富は、当時の日本では他に類を見ない貨幣社会、消費社会へと急速に変化させました。そして小規模ですが極めて豊かな兼業農家が急増したことが佐渡の特色となっています。

その後、金山は衰退していき、農外収入は減少しましたが、島ゆえに他の産業の少ない佐渡では農地は大切に残されていきました。

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